はじめに
対象読者
- ライブハウスPAなど音響系技術者になったばかりで自分のリファレンス音源がまだ決まっていない/迷っている人
今回はニッチな内容の記事です。
自分がPAエンジニアになりたての頃にぶつかった問題のひとつでした。
先輩方の考えもさまざまでしたが、私なりのひとつの答えに行き着きました。
過去の自分やこれからの職場の後輩に向けるつもりで解説します。
今回解説する「リファレンス音源」はミキシング用のリファレンス音源とは異なります。
ミキシングのリファレンス音源の選び方は別記事で解説しましたので、そちらへどうぞ。
リファレンス音源とは?なぜ選ぶ必要があるのか。
リファレンス音源とはそもそもなんなのか、から答えます。
リファレンス(reference)とはもともと「参考」の意です。
では何をするときの参考材料になるのか?
PA分野において、それは「スピーカーのチェック」です。
PAエンジニアでは「スピーカーのチェック」の参考資料
あまり一般には馴染みの無い視点ですが、実はスピーカーはその日によって出音の調子が違います。
人間と同じで調子の良し悪しがあって、なんの問題もなくバランス良く鳴ってくれることもあれば、バランスが悪いこともあります。
調子が悪いときの原因は様々です。
その日の気温やステージセットの状態、前日のライブでどんなスピーカーの鳴らし方をしたかでも変わってしまいます。
場合によっては機器の接続や設定が不適切であったり、スピーカー自体が故障していることもあります。
そうした問題がないかをチェックするために、PAエンジニアはそれぞれ「聴き慣れた曲」の音源データを持っています。
これが「リファレンス音源」です。
聴き慣れた曲をスピーカーから流して「いつもと違って聴こえる」ならば、何かが不調であるとわかります。
リファレンス音源選びのポイント
リファレンス音源は「聴き慣れた曲」であることは重要な要素ですが、それだけでは適していません。
ポイントとして
- リファレンス音源自体が音響技術的に高いレベルで調整されたものであること
- イコライザ(EQ)を操作した時に「音のどの部分が変化したか」が分かりやすいこと
- PAエンジニア自身が聴き込む必要があるので、その人の好みに合っていること
これら3点が揃っていることが望ましいです。
順に理由を解説します。
リファレンス音源自体が音響技術的に高いレベルで調整されたものであること
まず初めの分岐点はここです。
スピーカーが正確に調整されていることを確かめるには「良いものが良く聴こえる(なんの異常もなく聴こえる)」ことで判断するのがわかりやすくて良いです。
逆に「あまり質の良くない曲」を掛けたときに良く聴こえる状態だと、調整に偏りがあります。
理論的には「あまり良くない状態の曲の問題点が正確に反映されるよう調整する」こともできますが、至難の業です。
初心者には向きません。
リファレンス音源が音響技術的に高いレベルの調整がされており、音像、位相、周波数バランスが正確であれば、調整されたスピーカーで流したときにスッキリ気持ちよく聴くことが出来るはずです。
この理由から「音響技術的に高いレベルで調整された楽曲(レコーディング、ミキシング、マスタリングなどのレベルが高い楽曲)」であることが必要です。
イコライザ(EQ)を操作した時に「音のどの部分が変化したか」が分かりやすいこと
第2の分岐点です。
リファレンス音源をスピーカーで流したとき、大きな問題はなくても周波数バランスの調整が必要なことが多いです。
この周波数バランスの調整を「スピーカーチューニング」と言い、基本的にイコライザで調整します。
このイコライザでの調整で、イコライザのフェーダーを動かしたときに「音のどの部分に変化が生じたか?」がわかりやすいことが重要です。
- バスドラムの音が変わった
- ベースの音が変わった
- ボーカルの印象が変わった
- ギターの音が変わった
- スネアの音が変わった
- ピアノの音が変わった
- ボーカルの歯擦音が気になるようになった
- ハイハットシンバルの音が鋭くなった etc…
この変化がわかりにくい曲だとスピーカーチューニングは難易度が高まります。
イコライザによる変化が分かりにくい原因はいろいろありますが、楽器の数が少なすぎる / 多すぎる場合は注意が必要です。
PAエンジニア自身が聴き込む必要があるので、その人の好みに合っていること
最後の分岐点です。
「リファレンス音源」が機能するためには「その曲を熟知している」ことが必要不可欠です。
具体的には
- 曲中に出てくる楽器と音色
- 各楽器の音量バランス
- 各楽器の定位、距離感
- 空間表現(ディレイやリバーブの長さや深さ)
- 曲構造(曲のどの部分でどの周波数帯が確認しやすいか)
これらを把握しておけばスピーカーの調子を正確に捉えることができます。
逆に把握していなかった場合、リファレンスとしてあまり役に立ちません。
上に挙げた情報を把握するためには「曲を細部まで聴き込む」という過程が不可欠です。
でも仕事とはいえ、好きでない曲を聴き込むのはあまり気乗りがしません。
そのため「自分の好みに合う曲」を選んだ方が良いです。
初心者はグラミー賞から選んだ方が間違いない理由
選ぶポイントで挙げた3つのポイント
- リファレンス音源自体が音響技術的に高いレベルで調整されたものであること
- イコライザ(EQ)を操作した時に「音のどの部分が変化したか」が分かりやすいこと
- PAエンジニア自身が聴き込む必要があるので、その人の好みに合っていること
これらのうち、2番目と3番目は簡単です。(イコライザでの変化は実際にスピーカーで流しながら試せばわかるので)
しかし「リファレンス音源自体が音響技術的に高いレベルで調整されたものであること」は初心者では判断が難しいところです。
この解決策として「グラミー賞を受賞した曲からリファレンス音源を選ぶ」というのが有効です。
理由1 : 音源の質に信頼性が高い
グラミー賞はアメリカ合衆国の音楽産業において優れた作品を創り上げたクリエイターの業績を讃える賞です。
審査対象はアメリカ内部だけではありません。
他の国のアーティストでもアメリカの音楽産業に貢献していれば対象に含まれます。
エミー賞やアカデミー賞と並び評される大きな賞です。
主催である団体「Recording Academy」は運営方針で「優れた録音技術を評価する」ことを含めています。
グラミー賞はたとえ年間トップセールスを記録した作品であっても、受賞を逃すことがあります。
それは作品としての総合力で受賞作品を決めているからだと思われます。
その最たるものが「GRAMMY Awards for Best Engineered Recording, Non Classical」です。
直訳すると「クラシックでないものの中で、最も技術的に優れた記録に贈るグラミー賞」となるでしょうか。
日本では「グラミー技術賞」の名称で知られています。
これはアルバム作品のうちレコーディング、ミキシング、マスタリングなどの音響技術が特に素晴らしいものに贈られる賞です。
理由2 : 受賞作品は意外とたくさんある
グラミー賞は主要4部門が有名ですが、実は先ほど挙げた「グラミー技術賞」のような細分化された部門がたくさんあります。
ポップス、ジャズ、ロック、ダンスミュージック、レゲエなどのジャンル別、プレイヤーの演奏パフォーマンス、編曲などでも別部門で存在します。
なんと2021年現在では計80部門を超えます。
年に1度の賞なので過去に受賞した作品まで含めればたくさんの曲があります。
更に受賞作品は大体「アルバム単位」です。(一部曲単体が対象の賞もあります。)
つまり質の高い曲がまとまってくれています。
これだけたくさんの曲があれば、探してみたけど好みの曲が無いということはまず考えられません。
他の音響エンジニアとかぶる心配もまずありません。
更にいうなら惜しくも受賞は逃したが受賞候補になった「ノミネート」の作品もいいものがたくさんあります。
ほぼその差は僅差だと思います。
具体的な選び方
1. グラミー受賞作品を調べる
グラミー賞公式ページから今までの受賞作品を見ることができます。
まずチェックする部門としてはやはりグラミー技術賞です。
ノミネート作品も含めてチェックしてみましょう。
ただ技術賞ではロックジャンルの作品はあまりありません。
私と同じライブハウスPAの音響エンジニアの場合は、リファレンス曲のジャンルがロックの方が都合が良いこともあります。
会場の雰囲気に合っているとか、サウンド作りの参考になったりとか。
その場合は「Best Rock Song」、「Best Rock Album」、「Best Rock Performance」を視野に入れても良いです。
2. リファレンス音源の候補曲を3 ~ 5曲リストアップする
受賞アルバム、ノミネートアルバムの収録曲をSpotifyなどストリーミングサービスでサラーッと聴いてみます。
その中から好みに合うものをリファレンス音源候補曲としてリストアップしておきます。
この記事の終わりに付録として技術賞とロックソング賞を集めたプレイリストを載せました。
リファレンス音源用の曲探しにお役立てください。
3. 候補曲を業務で使うスピーカーで鳴らし、イコライザでの変化をチェックする
候補曲を実際に仕事で使うスピーカー(ライブハウスであればメインスピーカー)で流し、イコライザのフェーダーを動かしてみます。
自宅のDTM環境でも出来るかもしれませんが、やはり実際に使う環境で試すことを勧めます。
ライブハウスのサブウーハーで鳴らすレベルの低域を自宅環境で鳴らせるとは考えにくいことや、使用するイコライザとの相性もあるためです。
ここでのコツは「周波数ポイント別に、大胆に(イコライザの)フェーダーを動かす」ことです。
イコライザはブーストしすぎると爆音が出てしまい、スピーカーや聴覚にダメージを生じてしまうので注意が必要です。
しかしあまり繊細に動かしただけでは違いが分からなかったりするので、±9dBくらい動かして変化をはっきり確認するのが良いです。
また同時に2ヶ所以上のポイントを動かしてはいけません。
音の変化が「どちらの周波数由来なのか」が分からなくなるからです。
1ヶ所動かしたら0dBに戻す、次の場所も動かしたら0dBに戻す…という感じでかく周波数ポイントでの変化をチェックしましょう。
この過程で「イコライザでの変化が分かりやすい」ことが確かめられた曲はリファレンス音源に向いています。
ついにリファレンス音源にする曲が決まりました!おめでとうございます。
補足 : 選んだ後は曲の構造チェック
この記事の目的は「リファレンス音源の選び方解説」なのでここで終わらせても良いのですが、一応曲のチェックポイントについても軽く触れておきます。
細かく聴くならまずはヘッドホンで
リファレンス音源の曲を把握するなら、まずスピーカーよりヘッドホンが良いです。
単純に細かい部分まで聴き取りやすくなるというのに加え、モニター環境が部屋に左右されないからです。
ヘッドホンでまず「どんな楽器がいるか」「それらの楽器のステレオイメージ上の位置はどこか(定位はどうなっているか)」をチェックします。
楽器の位置がわかりにくい場合はヘッドホンを変えてみるのも手です。
私は定位をはっきり確認したいときはYAMAHA HPH-MT8を使います。
やや高域強めで長時間使うと疲れるので普段使いには向いてませんが、ステレオイメージの解像度は抜群に良いです。
視力がめっちゃ改善されるけど長くかけてると疲れる眼鏡みたいなものです。(眼鏡・コンタクトユーザーにしか伝わらない)
他の手段としては「deCoda」などの耳コピツールを使うのもありだと思います。
聴きたい部分以外の位置・周波数帯の音を消せるので聴きたい部分が聴きやすくなります。
各楽器の位置が把握できたら「それらの楽器が曲のどの部分で確認しやすいか」も確認します。
イントロやAメロなど、鳴っている楽器の少ない部分をあらかじめ把握しておくことでチェック時に注意して聴くポイントを絞り、効率的にチェックすることができます。
スピーカーでも聴いてみる
ヘッドホンで細部の確認ができたらスピーカーでも聴いてみます。
ヘッドホンと違い、クロストーク(ヘッドホンでは無かったL側の音が右耳にも聞こえ、反対にR側の音が左耳にも聞こえること)があるのでステレオイメージは狭くなり、各楽器の定位にも少し変化が生じます。
大雑把にいえば全体がちょっと中央寄りになります。
この状態での聴こえ方も把握しておきます。
まとめ : 初めてのリファレンス音源はグラミー賞から探すのがおすすめ
今回の記事では音響初心者向けに「リファレンス音源の選び方」を解説しました。
結論として
- グラミー受賞作品(できればグラミー技術賞)から好みの作品を探す
- 職場のスピーカーでイコライザ操作しながら聴いてみて、変化がわかりやすいものだったらOK
という内容でした。
今回の内容は以上です!
お役に立てれば幸いです。
付録 : リファレンス音源探索用Spotifyプレイリスト
今回の情報を元にリファレンス用の曲探しをする人のためにSpotifyでプレイリストを作成しました。
グラミー技術賞(2020 ~ 2000)
Grammy Awards Best Engineered Recording, Non Classical (2020 ~2000)
グラミー技術賞の各アルバムから代表的な曲(アルバム名と曲名が一致したもの、もしくは最も人気があったもの)をプレイリストにしました。
グラミー技術賞ノミネート(2020 ~ 2017)
Grammy Awards Nominees Best Engineered Recording, Non Classical (2020 ~ 2017)
グラミー技術賞ノミネートの各アルバムから代表的な曲(アルバム名と曲名が一致したもの、最も人気があったもの)をプレイリストにしました。
受賞作品ではピントくるものがない場合はこちらから探してみてください。
グラミーロックソング賞(2020 ~ 2010)
GRAMMY Awards Best Rock Song (2020 ~ 2010)
グラミーロックソング賞を10年分集めました。
こちらは曲単体が対象の賞です。
直感的にはFoo Fightersの2曲とParamoreの曲が良い仕事をしてくれそうです。
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